CS Blog by NAKI Vol.2 ビーターの登場

CS Blog by NAKI Vol.2 ビーターの登場

Beaterとは、

Beat=叩く、ボロボロにするという語に、

比較級のerが付けられた造語だ。

詳細な造語とするのなら、

beat-erとしてみるとわかりやすいかもしれない。

意訳して、

「最上級のやられ役」としてみたが、

音感も字面もC級感がたっぷりと出た。

このビーターこそがC級の名を受けているので、

あながちダサ訳ではないかもしれない。

こんなすばらしいネーミングのサーフボードは、

れっきとした商品名で、

アベンジャーズのキャラクター同様に商標登録されている。


ビーターが発売されると、

噂というか前人気が高く即完売した。

それから入荷が数度あったのだが、

どのサーフショップに行っても商品として並ぶことはないほど、

超人気商品となった。

やがて全米の海水浴場でビーターを見ない日はなくなった。

子どもたちは自分だけのカラーを持ちたい、

またはコレクションするという目的で、

キャッチサーフ社の新色や限定カラーを待ちわびていた。

このとき筆者は、

海岸近くに住んでいたので、

子どもたちが抱えているのがビーターだらけになったことを目撃している。

そのくらい普及したのは、

アメリカの沿岸に住む子どもたちは、

ビーターが打ち出した

サーフボード

スキムボード

ボディボード

それら三位が一体となった浮力体の虜(とりこ)になったからだろうと推察してみた。

私自身も海好きの子どもがいたので、

よく一緒に行っては、

ビーターで*マンライを決めたことを思い出した。

(*マンライとは、満足ライディングのこと)

子どもたちのグループに目を入れてみると、

ビーターを持っている子はいいのだが、

次点、

いわゆる「空き待ち」をする友だちが多くいた。

たいていはビーターが砂浜陣地に戻ってくる前に手渡され、

ビーターは必ず海に浮いていたことをよくおぼえている。

浮力体が足りないのではなく、

他のボードは砂浜に置かれていて、

ビーター以外は人気がなくなるほど、

熱というか、

ビーター・ライド独自の世界が創り上げられていった。

または一人でビーターを持ってやってきて、

一心不乱で波遊びする子もいて、

そんなときは自分を重ねて応援した。

時を少し戻そう。

キャッチサーフ社は、

天才富豪のジョージ・アルゼンテ(George Arzente)が、

モーリー・ブギーの首領トム・モーリーを

総監督としてサンクレメンテで創業した。

2008年には、

ボディボード業界のベテラン、

ジョエル・マナラスタスJoel Thomas Manalastas)を

営業総本部長副社長としてパートナーシップを組んだ。

次の手は

ボディボーダーであり、

メディア鬼才で知られるクリス・モンロー(Chris Monroe)を

マーケティング全権副社長として雇い入れた。

これが2009年のことだ。

このクリスこそが、

サーフYoutube界を沸かせているBeefであり、

いまもキャッチサーフ本社のジョージの隣の部屋にいる。

クリスはビーターの全米PRにあたって、

あるサーファーのことを思い浮かばせていた。

それは、

サンクレメンテのジョニー・レッドモンド

Johnny Redmond)のことだった。

(続く)

 


  NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ
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