CS Blog by NAKI Vol.8 サーフ視点で見るキャッチサーフ発祥地

CS Blog by NAKI Vol.8 サーフ視点で見るキャッチサーフ発祥地

西海岸の南にあるラグナ・ビーチはキャッチサーフの誕生地だと、

エピソード1からお伝えしてきた。

水平線に向かって、

右側がニューポート・ビーチ、

その向こうがUSオープン・オブ・サーフィングが開催されるハンティントン・ビーチだ。

さらに北にロングビーチ、

ロス・アンジェルスまで続いていく。

地図で見ると、

ラグナ・ビーチの南側にダナ・ポイントがある。

ダナ・ポイントは、

クラーク・フォームやサーファー・マガジン誌発祥の地で、

サーフィン業界にとって始点となる老舗サーフタウンだ。

ダナ・ポイントという名前を解体すると、

ダナは女性名、

ポイントは岬という意味だ。

ダナ岬には、

ワールドクラスのサーフブレイクがあった。

『キラー・ダナ』だ。

キラー・ダナは、

エレガントかつ、

永遠に続くようなパーフェクションのライト・ハンダーだったという。

けれど、

その世界クラスの波は、

ヨットハーバー建造によってほぼ完全に失われてしまった。

この

「サーファーにとって最も失われたもの」という結果によって、

南カリフォルニアのサーファーたちは、

『海岸開発』がやってくると、

一致団結して阻止することが長年続いている。

日本もこうなればいいのだが、

いかんせんサーファー人口が足りないのか、

サーファーの意見力が弱いのか、

あまり良い結果というのは聞こえてこない。

どちらにしても私たちは前を向いて、

テトラポッド投入や堤防建設に対して意見し、

その必要性を論じなくてはならない時代となった。

話を戻すと、

ラグナ・ビーチの南がダナ・ポイントで、

その先が「サンクレメンテ」だ。

サンクレメンテは、

カリフォルニアのサーフボード・デザインの基点でもある。

ポリエスター・ボード創世記のデール・ベルジーやドナルド・タカヤマは、

この街の北側ロス・モリノス通りで美しいサーフボードを創っていた。

サンクレメンテ市の中央付近にピアがあり、

その200mほど隣が、

あらゆるプチ・ユニーク波を作り出す「Tストリート」がある。

このクセ波Tストリート波の恩恵を受けて、

「サンクレメンテ高校のサーフィン部」は、

USAのトップクラスの名門となり、

名前だけですぐに字数オーバーとなるほどの数のプロサーファーを誕生させている。

キャッチサーフのジョニーとビーフことクリス、

ジョエルはこのTストリートのOBであり、

いまもほぼ毎日サーフする波となっている。

Tストリートの先には、

ワールドクラスの波を誇る「トレッスルズ」があり、

そのままサン・オノフレ州立海岸公園まで続いていく。

そのまま南に移動すると、

広大なオーシャンサイドがある。

ここはマリーン(海兵隊、marine)の基地があり、

軍需産業が多くを占める工場街だ。

サーファーにとっては、

コンスタントな波の、

堤防とピアによるビーチブレイクで知られている。

オーシャンサイドから30分下るとエンシニータスとなる。

スワミーズという特級波があり、

その先にはカーディフ。

エンシニータスは、

ホールフーズ・マーケットがあったことからもわかるように、

マリブに次いでピナクルな人たちが集まるエリアとなっている。

サーフ界では、

ブラッドリー・ガーラックやロブ・マチャド、

ジョエル・チューダーたちを排出し、

サーフアートではアンディ・デイビスという、

モダン・ムーブメントのフルセットみたいなサーフタウンがここだ。

そしてサンディエゴ、

メキシコ国境まで続いていく。

キャッチサーフの発祥地ラグナ・ビーチと、

本社があるサンクレメンテはオレンジ郡にある。

オレンジ郡は、

ロスアンジェルス郡と、

サンディエゴ郡にはさまれている。

これら特徴あるタウンの数々を擁しつつ、

ハンティントン・ビーチに代表されるように

平野が沿岸後方に広大に伸び、

遠浅のビーチブレイクが拡がっている。

ラグナ・ビーチは、

ダナ岬を麓にラグナ渓谷がそびえるため、

急深海岸のみならず、

岬や湾上の跳ね返り波(ウェッジ)があるために、

スキムボーディングに最適な地形を作る。

「Thousand Steps(1000段階段)」

という名前の海岸があるのは、

砂浜に崖が迫っているからに他ならない。

特筆すべきショアブレイク、

サイドウェーブというスキムボード波が多く存在する。

ここに集う少年や青年たちの脇に抱えられ、

キャッチサーフがそれぞれのコーヴ(入り江)に降りていった。

(続く)

 

NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ

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