エピソード1からお伝えしてきた。
水平線に向かって、
右側がニューポート・ビーチ、
その向こうがUSオープン・オブ・サーフィングが開催されるハンティントン・ビーチだ。
さらに北にロングビーチ、
ロス・アンジェルスまで続いていく。
地図で見ると、
ラグナ・ビーチの南側にダナ・ポイントがある。
ダナ・ポイントは、
クラーク・フォームやサーファー・マガジン誌発祥の地で、
サーフィン業界にとって始点となる老舗サーフタウンだ。
ダナ・ポイントという名前を解体すると、
ダナは女性名、
ポイントは岬という意味だ。
ダナ岬には、
ワールドクラスのサーフブレイクがあった。
『キラー・ダナ』だ。
キラー・ダナは、
エレガントかつ、
永遠に続くようなパーフェクションのライト・ハンダーだったという。
けれど、
その世界クラスの波は、
ヨットハーバー建造によってほぼ完全に失われてしまった。
この
「サーファーにとって最も失われたもの」という結果によって、
南カリフォルニアのサーファーたちは、
『海岸開発』がやってくると、
一致団結して阻止することが長年続いている。
日本もこうなればいいのだが、
いかんせんサーファー人口が足りないのか、
サーファーの意見力が弱いのか、
あまり良い結果というのは聞こえてこない。
どちらにしても私たちは前を向いて、
テトラポッド投入や堤防建設に対して意見し、
その必要性を論じなくてはならない時代となった。
話を戻すと、
ラグナ・ビーチの南がダナ・ポイントで、
その先が「サンクレメンテ」だ。
サンクレメンテは、
カリフォルニアのサーフボード・デザインの基点でもある。
ポリエスター・ボード創世記のデール・ベルジーやドナルド・タカヤマは、
この街の北側ロス・モリノス通りで美しいサーフボードを創っていた。
サンクレメンテ市の中央付近にピアがあり、
その200mほど隣が、
あらゆるプチ・ユニーク波を作り出す「Tストリート」がある。
このクセ波Tストリート波の恩恵を受けて、
「サンクレメンテ高校のサーフィン部」は、
USAのトップクラスの名門となり、
名前だけですぐに字数オーバーとなるほどの数のプロサーファーを誕生させている。
キャッチサーフのジョニーとビーフことクリス、
ジョエルはこのTストリートのOBであり、
いまもほぼ毎日サーフする波となっている。
Tストリートの先には、
ワールドクラスの波を誇る「トレッスルズ」があり、
そのままサン・オノフレ州立海岸公園まで続いていく。
そのまま南に移動すると、
広大なオーシャンサイドがある。
ここはマリーン(海兵隊、marine)の基地があり、
軍需産業が多くを占める工場街だ。
サーファーにとっては、
コンスタントな波の、
堤防とピアによるビーチブレイクで知られている。
オーシャンサイドから30分下るとエンシニータスとなる。
スワミーズという特級波があり、
その先にはカーディフ。
エンシニータスは、
ホールフーズ・マーケットがあったことからもわかるように、
マリブに次いでピナクルな人たちが集まるエリアとなっている。
サーフ界では、
ブラッドリー・ガーラックやロブ・マチャド、
ジョエル・チューダーたちを排出し、
サーフアートではアンディ・デイビスという、
モダン・ムーブメントのフルセットみたいなサーフタウンがここだ。
そしてサンディエゴ、
メキシコ国境まで続いていく。
キャッチサーフの発祥地ラグナ・ビーチと、
本社があるサンクレメンテはオレンジ郡にある。
オレンジ郡は、
ロスアンジェルス郡と、
サンディエゴ郡にはさまれている。
これら特徴あるタウンの数々を擁しつつ、
ハンティントン・ビーチに代表されるように
平野が沿岸後方に広大に伸び、
遠浅のビーチブレイクが拡がっている。
ラグナ・ビーチは、
ダナ岬を麓にラグナ渓谷がそびえるため、
急深海岸のみならず、
岬や湾上の跳ね返り波(ウェッジ)があるために、
スキムボーディングに最適な地形を作る。
「Thousand Steps(1000段階段)」
という名前の海岸があるのは、
砂浜に崖が迫っているからに他ならない。
特筆すべきショアブレイク、
サイドウェーブというスキムボード波が多く存在する。
ここに集う少年や青年たちの脇に抱えられ、
キャッチサーフがそれぞれのコーヴ(入り江)に降りていった。
(続く)
NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ