カラニの登場により、
ビーターやキャッチ・サーフボードはその魅力をさらに高めていった。
「こんなこともできる」
というのが、
カラニだけでなく、
ローカル・リッパーたちに伝染し、
各地のサーフィンの技術が高まっていった。
そんなときキャッチサーフ社ではビーター各種の品薄が続いていたが、
主宰ジョージは次なる手を打っていた。
それは主艦となるオディシーに着目し、
カラニやジョニーたちプロのインプットによるデザインによって、
次世代のサーフボード・デザインを完成していたのだ。
ジョージは、
「プロでも楽しく、安全にサーフできるサーフボードを作りたい」
(『1.CATCH SURF創世記』参照のこと)
そんな夢があったので、
オディシーというモデルをブラッシュアップしていたのだろう。
このムーブメントによって、
多くのプロサーファーたちがキャッチサーフに乗り始めた。
これはやはりカラニ・ロブ効果というか、
伝説のトッププロがシュレッディング
(キレの良い動きのこと)しているので、
それにあやかろうとしたのだと推察する。
またはカラニと同じように、
『画一的(適正浮力等)なサーフボード」
に乗って、
他者と同じ動きをすることに疲れてしまったのかもしれない。
キャッチサーフは、
オリジナル製法のボディボード素材に、
複数のストリンガーを加えて剛性を高めつつ、
シュレッド・ターンを可能にしたアウトラインと、
レイル&テイル・デザインを持つサーフボードだ。
閑話。
サンクレメンテの北側にラグナ・ビーチという、
まるで風景画から出てきたかのような美しいビーチが点在している。
前述したジョージの地元であり、
キャッチサーフの誕生地でもある。
崖上の岬にかこまれ、
急深のビーチブレイクのため、
多岐にわたる質のショアブレイクで知られている。
そこでスキム・ボードをしていたタイラー・スタナランドと、
ブレア・コンクリンが、
ビーターとオディシーの二刀流となってからは、
ラグナ・ビーチは、
キャッチサーフが日常の風景となった。
ラグナ・ビーチの北がニューポート・ビーチで、
そこにある長い堤防の横にスゴ波で有名なウェッジがある。
南カリフォルニアではナンバーワンのパワーとされる波だ。
余談だが、
パイプラインやデザート・ポイントで鬼神の滑りを見せるクリスチャン・フレッチャーが、
このウェッジ波で、
人生初めてという大けがをしたことでも知られている。
キャッチサーフが、
ラグナ・ビーチと同様にウェッジ波をドロップされるようになったのは、
カラニ・ロブを筆頭に、
前出のタイラーやブレアたちが、
ここで激烈な波を滑った裏書きがあったことに他ならない。
それはインスタグラムや、
YouTubeのソーシャルネットワークで流れ、
キャッチサーフは映像と一緒に発展していったのだ。
(続く)
NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ