ラグナ・ビーチ出身のタイラー・スタナランドは、
キャッチサーフのメイン・チームライダーでありつつ、
ライフガードであり、
フィジーのクラウド・ブレイクのザ・デイを征服することができるリアルなサーファーである。
一見すると、
人気TVドラマ「ベイウォッチ」で見たことがあるような端正な顔立ちをしていて、
『Beverly Hills, 90210(ビバリーヒルズ高校白書)』
に出ていそうな長身美男子である。
長身で知られるMLBの大谷翔平くんは、
チームメイトを「イカくん」とか、
「イケメン」と呼ぶネーミング・センスを持つが、
彼ならばタイラーのことを「スーパーモデル」と呼ぶだろう。
ラグナ・ビーチでもうひとり忘れてはならないのが、
ブレア・コンクリンである。
Tストリートの天才はジョニー・レッドモンドで、
カリフォルニア・コーストでの天才がブレアだと、
名を知られる横乗りバランスの5ツール・サーファーだ。
この天才ブレアと、
スーパーモデルのタイラーたちは、
キャッチサーフの新作に乗って、
あちらこちらのショアブレイクで伝説を作っていた。
新作というのは54だったり、
いわゆる短いミニ系で、
彼らスキマー(スキムボーダーのこと)が、
キャッチサーフの短身ボードの性能を上げたと言えよう。
短いレイルラインをビシリとセットし、
ニューポートのウェッジやシールビーチの激掘れクロスオーバー、
またはフィジーの激波をメイクするのがSNSで公開されると、
世界中からのオーダーがやってきてキャッチサーフ社は第三次品薄ブームとなった。
さて、
キャッチサーフでは、
54や50などの短いボードは、
絶妙なるフィン位置によってターンが正確になると知られている。
例えば、
鬼才クレイ・マーゾがマウイの轟波で54に乗って、
超が付くほど気に入り、
そのままチームライダーとなった。
クレイは、
チャッキーことローガン・ドゥリアンの「SNAPTシリーズ」で、
そのレイバック・スラッシュや、
インポッシブル・バレルをメイクして、
私たちのドギモをすべて抜いてしまった。
これもやはりブレアとタイラーによるミニボード革命によって、
スーパー・サーファーたちが、
ショーオフすることがトレンドとなり、
「超性能のキャッチサーフ」
という口コミが不動なものになっていった。
そしてブレアは、
各地に完成したウェイブプールでもキャッチサーフの潜在的かつ、
究極なる性能をデモンストレートし、
その人気というギアをさらに上げていった。
これでWSLからのエリート、
カラニ・ロブがハッピーサーフ=キャッチサーフ教に入信し、
ブレアとタイラーによって、
ミニボードのありえないほどのポテンシャルが現れ、
そしてミスター・パイプライン、
サーフシーンの超異端児JOBことジェイミー・オブライエンが、
このキャッチサーフの7〜オディシーや、
6フィート台のスキッパーフィッシュで、
バックドア、
パイプライン、
そしてワイメア・ショアブレイクで
前代未聞の挑戦が開始されていた。
(続く)
NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ