CS Blog by NAKI Vol.3 オリジナル・メンバーの成立

CS Blog by NAKI Vol.3 オリジナル・メンバーの成立

(左からジョージ、トニー、クリス(ビーフ)、ジョニー・レッドモンド)

2009年。

キャッチサーフの副社長、

PR課の部長に就任したビーフことクリス・モンローは、

海水浴場でも規制内で安全にサーフできるボード、

*ビーターの全米PRにあたって、

Tストリートのジョニーのことを思い浮かばせていた。

*(誤解を恐れないのであれば、

Beater=ビーターを破壊神と意訳してもいいかもしれない)

ジョニー・レッドモンドは、

ボディボードの上にスタンディングするというカテゴリーでは、

クリス・ワードもベッシェンズ、

アーチボルドやフレッチャーズよりも抜き出た天才サーファーとして、

そしていい奴だということで、

同じサンクレメンテ高校出身のクリスの記憶に深く刻まれていた。

サーフタウンのサンクレメンテは、

世界でもトップクラスのサーフレベルだ。

なかでもメインブレイクのTストリートは、

サーフ界では特級聖地だと断言できるほど、

たくさんのグレイトサーファーを輩出していた。

サンクレメンテというと、

ローワーズやアッパーズ、

またはチャーチがあるトレッスルズを思い浮かべるだろうが、

Tストリートは、

駐車場に近く、

優良サーファーのための密接なるファームとしての役割を担っている。

トレッスルズではない。

(著者注:トレッスルズの役割は、

自身のリミットを解放するためのサーフブレイク)

西向きの海岸Tストリートは、

トレファグラー・ストリートが省略されたものというものだと言われている。

余談だが、

Tストリートには、

他にもいくつか有力なネーミングの由来もある。

そのくらいの人気ビーチだ。

Tストリートは、

ピアを北に従え、

沖にあるシールロックと、

複雑なリーフ&サンドの海底ボトムを持ち、

ありとあらゆるウェッジや、

クロスオーバーとショアブレイクにサーファーたちは日々磨かれ、

輝かしいほどのサーフ能力を身につけていくのである。

ここで名が知られるということは、

世界レベルで知られることになる。

ジョニー・レッドモンドは、

高校卒業後はアリゾナ州にいたという。

ジョニーがいたのは、

サンクレメンテから車で8時間程度のフェニックス(内陸)だ。

クリスはジョニーに連絡を取り、

「あなたの未来がサンクレメンテにあります。

キャッチサーフに就職してサーフ三昧です」

そんな条件にジョニーは、

「海に戻れる。また波に乗れる」

震えるほどうれしかったという。

それから数ヶ月後、

ジョニーが、

キャッチサーフ社の「開発員」としてサンクレメンテに戻ってきた。

これで天才創業者ジョージ・アルゼンテと、

国際営業副社長のジョエル・トーマス・マナラスタス、

広報副社長のクリス・モンロー、

商品開発副社長のジョニー・レッドモンドという四天王が揃った。

すぐにジョニーは、

プロト・モデルのビーターに乗った。

幅が細かった。

柔(やわ)かった。

そしてジョニーは、

このプロトモデルであらゆる波に乗った。

日中を想定してオンショアでもサーフした。

元々ボディボードでサーフできるので、

ビーターのプロトモデルに乗ることは容易(たやす)かった。

けれど、

フィンレス・サーフィンというのは、

何かを抑制することによってトラクションを得るもので、

常に引き算が要求されるクロスボーディングとなる。

その引き幅を最小とすれば、

マジックボードが誕生する結末もイメージできていた。

そうなれば、

全米の、

いや世界各地の海水浴場エリア(ブラックボウル)で、

これが最強ボードとなるだろう。

ジョニーは、

このモンスターボードの制作に携(たずさ)わることができる喜びに震えたという。

(続く)

 

NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ

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