私たちは、
テイラー・スティールの歴史的なサーフ・フィルム
『モメンタム』によって、
ナイフを投げたような鋭い波斜面の切り裂き、
または波先から発射されるようなエアリアルを目撃した。
それはケリー・スレーターであり、
シェーン・ドリアンでもあった。
これらのサーフィンは、
『ニュー・スクール』と定義され、
それまでのカービングの美しさを表現したトム・カレンよりもワイルドかつ、
スピーディに見えたのは、
カラニ・ロブの残像が、
このモメンタム・シリーズの輪郭を完全に表現したのかもしれなかった。
カラニ・ロブのシグネチャー・ムーブは、
シームレスな360エアや、
音速機のようなトップターンだ。
カラニは全米選手権、
OPジュニア、
ワールド・ジュニア・タイトル(ブラジル)と勝ちまくり、
アマチュアの頂点を極めた。
その後すぐにWSL/WQSをクオリファイし、
1995年、
18歳でワールド・チャンピオンの候補として、
メジャー・リーグに加わり、
ルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得した。
1997年、
バックドア・シュートアウト優勝。
カラニのサーフィンは常に最先端であり、
デビュー時と同様、
雷神の速さを具現化していた。
その後、
2005年にツアーから引退したと聞いた。
モトクロスのプロになったのだろうかと噂されていた。
メディアからカラニ・ロブという存在がなくなり、
記憶から失われそうになったとき、
カラニがソルトクリーク(ダナ・ポイント市)でサーフしていた。
存在の鋭いサーフィンに感動し、
なぜいるのかを聞いてみると、
なんと!
(ハワイから)サンクレメンテに引っ越してきたという。
それから数日後、
キャッチサーフの本社に行くと、
トヨタ・タンドラという大型ピックアップに乗ったカラニが駐車場にいた。
しかもキャッチサーフ各種を持っている。
とても興味が沸いた私は、
なぜキャッチサーフなの?
そんなことを聞いてみると、
「サーフ業界はもはやコンテストや上達一辺倒となっていて、
『波に乗ることを楽しむ』
そんな純粋がなくなってしまった」
カラニは嘆きつつ、
「けれど、
このキャッチサーフならば、
純粋なサーフィンの起点を取り戻せることになる。
もしかすると、
自分がその役割になれるかもしれないのデス」
あの聡明な滑舌で一気にそうまくし立てた。
ビーターとオディシーをタンドラに荷台に並べたカラニは、
「(麓のハイ・スクール・モールにある)
ジュース・ストップに行くか?」
そう聞きつつ、
あっという間に駐車場から去っていった。
サーフィンと一緒ですばやい。
もしかすると、
カラニがキャッチサーフ・チームに加わったのかも?
そんな直感がした。
社のドアを開けると、
その通りで、
ジョージとクリスは大喜びで、
ジョエルは赤ら顔で放心し、
ジョニーは、
「カラニは完全なる仲間だ」と、
思想に感銘を受けていた。
それは今から10年も前、
2013年のことだった。
(続く)
NAKI(ナキ)■キャッチサーフ社広報、アジア担当エージェント。プロサーファー、1992年メキシコのASPテカテプロ7位を機にフリーサーファーとなる。フォトグラファー、プロデューサー、エッセイストであり、〈ハッピーサーフ思想〉の創始者。また「キャッチサーフの想い」に殉ずる覚悟で、このソフトボード世界へ夢を乗せて日々波に乗っている。ちなみに尊敬する人のひとりに同社主宰のジョージ・アルゼンテとあるのは、リップサービスではなくて真実だ